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2005年8月アーカイブ

ネジが取れないんです;;;

こころの便利屋さんに入った急なお問い合わせ。

「組み立て式の簡易ベッドのネジを反対に付けてしまって、取れなくなったんです。なんとかしてもらえますか?」

・・・。それは大変。すぐにも駆けつけたかったのですが、悪いことに今は埼玉で仕事中。

「あとでまた連絡します。」

といって仕事に戻ると、数時間後に、

「ネジ。取れました。ありがとうございました。」

と伝言が入って一件落着。私はなんにもしていないのですが、この後に電話してみると、”こころの便利屋さん”のチラシを見て電話したこと、組み立て式のベッドを買ったのだけれども老齢なので大変だったこと、困ったときに助けてくれる便利屋さんが出来て嬉しいこと、ひとりの生活が大変なこと、などなど、色々な話を聴かせてくれました。

まだ遇ったことのないおばあちゃんに、元気をもらった一日でした。
いつかご縁ができますように!

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2005年8月31日

こころの便利屋 (22:04) | コメント(0) | トラックバック(0)

カテゴリ:世田谷便利屋時代の過去ブログ便利屋稼業

「雨の日はだれでもやさしくなります」

「憂い」ににんべんで、「優しい」という字ができあがります。憂いを生むのは人の心ですが、その憂いからやさしさを生むのも人なのです。

 私はまだ便利屋を始めたばかりですが、日本ではじめて便利屋を開業した元祖・便利屋の右近勝吉さんは、雨の日に多い便利屋の仕事があるといいます。

<< 以下は、右近さんの言葉の引用です。 >>

急な雨の時には、「干したふとんを取り込んでおくれ」という依頼や、「幼稚園に孫を迎えにいっておくれ」という注文もおじいさんおばあさんからくる。「私では雨の日はかえって足元があぶないから、代わりに傘を持っていってやって」というわけです。それから、「ひとり暮らしの年老いた親の様子を見てきておくれ」という依頼も多い。たいていは息子の奥さん、つまりお嫁さんから、「舅や姑が元気でやっているか ―― とくに病気で寝込んでいるわけではないけれども ―― 変わりなく暮らしているかを確かめてきて欲しい」という頼みです。

 私も確かめに行くだけで、ほかにどうこうするわけではありません。「頼まれたから来ました。」と明かすこともありません。玄関の呼び鈴を押して、出てきた親御さんの無事や元気な姿を確認できればそれで帰ってくる。一度、門の呼び鈴を押してもなかなか出てこないので庭へ入っていったら、窓がガラリと開き、「だれだ。なに便利屋の左近?ダメじゃないか、勝手によその家の門を入ってきちゃあ」と、厳しそうなおじいさんに一喝されたことがありましたが、これはこれで元気の証明のようなもので、役目は果たせたわけです。

 依頼主から鍵のありかを教えてもらい、玄関先で返事がないときは、鍵を開けて家の中に入り、無事を確認することもあります。そういうときには相手と二言三言、言葉を交わしもしますが、無事の確認が済めばそそくさと帰ってきます。訪ねてみたらお年寄りが倒れていた、なんていうケースは幸いまだ一度もありません。

 こうした依頼はなぜか雨の日に圧倒的に多く、晴れた日にはほとんどありません。なぜだろうと考えてみて、雨が人の心を優しくするからじゃないか、と勝手に推測しています。ふだん、顔を合わせれば喧嘩してしまうことがあっても、そんな乾いた心も雨の日にはしっとりと潤う。雨の日は憂鬱な気分になりがちだけれども、その憂鬱さはどこか優しさと隣りあわせで、しみじみこまやかな感情もにじんでくるのでしょう。「お義母さん、どうしているかしら」と思いやりの触手を伸ばしてみる気になる -- 。

 雨の日にはお年寄りの神経痛やリウマチが痛むから、という現実的な理由もあるかもしれません。それでも、家族へのいたわりの気持ちが生まれてくることは悪いことではありません。たとえふだんはいがみあうことが多くあったとしても、ときに雨がやさしい気持ちをもたす。「日本が一年中梅雨だったら、嫁姑のいざこざもこの世から一掃されるかもしれないなぁ。」などと考えてしまうのです。

<< 以上、引用おわり >>

「人によりそう、こころとふれあう。」

"お話しをお聴きすること"は、「こころの便利屋さん」の一番のサービスとして位置づけているものです。

"お話をお聴きすることで、人を幸せにすることができる。そして、自分も幸せになれる。"

当社(有限会社 ジェイ・ドレス)の "こころの便利屋さん" 経営理念です。

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2005年8月30日

こころの便利屋 (21:59) | コメント(0) | トラックバック(0)

カテゴリ:世田谷便利屋時代の過去ブログ便利屋稼業

話し相手 - だれかに遇うということ

「わたしは、彼らがわたしはこうであるというところの者でもないし、自分はこうであるとわたしが言うところのものでもない。」

自他が補完的であるというのは、自他のどちらかが関係において一方的な規定をもつことがないということです。

そしてそれは、”だれと”まみえるかが、(他者の他者としての)自己の規定に深く関わることを意味するようです。

「だれと遇うのか。」 その”だれ”がそのつど具体的な特定の他者であって、他者一般ではないということは、重要ないみを持ちます。なぜなら、じぶんがまみえているその他者がだれであるかによって、その場の構造が変わってくるからです。逆に、他者の「だれ」にまったく無頓着な、つねにニュートラルな立場は、ときに、あらゆるものにありうるという意味で他者を他者自身に深く媒介しうる可能性を持つとともに、しかしニュートラルがニュートラルなままで終始したときには、むしろ他者ののっぺらぼうの鏡と化して、逆にひとを自己閉鎖へと動機付けてしまうことにもありかねません。

ひとが特定のだれかといして他のだれかに遇うということ。そこには、遇われる他者の偶然性が含まれます。

自分が他者を選ぶのではなく、他者とそこで遇うのだということです。

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話し相手 - 会話の隔たり

他者の他者としてじぶんの存在を感じるためには、ある種の隔たりというものを介在しなければなりませんが、他者との隔たりが極大になってしまうと、すれちがいや的外れといった現象が発生します。そこでもやはり、<間あい>というものが欠如しています。

R・D・レインは、母親の子どもに対する的外れ的応答の例を挙げています。
「五歳の男の子が、大きなふという虫を手に持って、母親のところに駆けてきて言う。<お母ちゃん、ほら、すごく大きなふとい虫を捕まえたよ>。彼女は言う。<おまえったら、きたないわ。あっちへ行って、すぐにきれいになさい。>

この会話のなかで、母親と子どもの会話はすっかりすれ違っている。母親は、虫を見せよとする子どもに対して、会話のなかで次のようなメタ・メッセージを送りつづけています。「おまえが虫を持っているかどうかは、わたしにとってもちっとも重要じゃない。わたしにとって一番大事なのは、おまえが清潔か不潔かということで、おまえが清潔なときだけ、わたしはお前を好きになる」というメッセージです。「おまえが好きになる」というのは、「おまえを認める」ということでしょう。他者に「認められる」ことが他者の他者としての自己の存在を確証するいとなみの核にあるとすれば、ここには「認める」という行為はありません。

「こんなことをしでかすやつは、わたしの息子ではない」という父の言葉に、「おまえは、わたしが息子だとわたしがいえば、おまえはわたしの息子だ。おまえはわたしの息子ではないとわたしがいえば、おまえはわたしの息子ではない」という父のメタ・メッセージを読み、それをさらに、「自分こうであるとぼくがいうところの者にぼくはなる。また、自分はこうではないとぼくがいうところの者にぼくはならない」と解釈し、ついに、「自分は指を鳴らすだけでなりたい者になれる」という妄想にはまった青年の例を、レインはあげています。
これらは、他者との隔たりが極大になってしまった例です。

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話し相手 - 見知らぬ男性に「結婚してください!」

他者の他者としてのじぶん、それを経験できないとき、ひとはどうするか。ひとつには、<間あい>を超えて (<間合い>がもてない状態で )過剰に他者に接近しようとするところがあるそうです。
他人の生をじぶんの生として生きてしまう投影的な同一化や、逆に他者の存在でじぶんを満たしてしまおうという合併的な同一化などがあります。ここでは他者の不在が他者との同一化によって一気に否定されます。

駅のホームで見知らぬ男性に「結婚してください」と声をかけたアンダースーザンの意識について(「内省の構造」長井真理子)を例に挙げると、ここでは、未知の者どうしのあいだにあるべき匿名の「無関係」という関係が、間主観的な妥当性を欠いたまま、ここではいきなり、すでにある程度の親密性を有しているかのような関係へと変更されることがあるというのです。<間合いが>クッションのような弾性をもちえなくなるのです。

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話し相手 - だれもわたしに話しかけてくれない

求められるということ、見つめられるということ、語りかけられるということ、ときには愛情ではなくて憎しみの対象、排除の対象となっているのでもいい、他人のなんらかの関心の宛て先になっているということが、他人の意識のなかで無視しあえないある場所を占めているという実感が、ひとの存在証明となります。

ひとは、「だれもわたしに話しかけてくれない」という理由で自殺することもあるのだそうです。

ひとはなんとか他者の他者としてのじぶんの存在を感じようとあがきます。
アイデンティティは他者との関係の中でそのつど与えられるもの、確証されるものであって、ひとが個としてもつ属性ではありません。ところがひとはしばしば、じぶんのアイデンティティを、「所有していたり、失ったと思ったり、探し求めたりするところの対象物」と勘違いしてしまうことがあるようです。

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話し相手 - 生徒のいない教師はいない

患者のいない医師や看護士はいません。教師としての、あるいは医師、看護士としての同一性は、たとえそれが一方的な関係であっても、やはり相互補完的なもののようです。
そのような意味で、どのような人間関係であっても、そこには他者による自己の、自己による他者の「定義づけ」が含まれています。
ここで問題なのは、その役柄ではなく、たんに「だれ」として存在していることです。
そういう意味での他者のいづれに対しても、じぶんの存在はなんら意味を持っていないのではないかという思いにとらわれたとき。ひとはひどく落ち込みます。

”人間は、他者の存在の欠落を経験するのではなくて、他者に対する他者としての自分自身の存在の欠落を経験する。彼にむかって何かをなんらかの仕方で働きかけてこない他者、彼を誘惑し、強奪し、何かを盗み、窒息させ、食い尽くし、なんらかの仕方で彼を破壊しよういとしない他者に悩まされる。他者はそこにいるが、彼は他者に対してそこにいない。”(「自己と他者」R・D・レイン)

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話し相手 - あなたがいるから私がいる

アイデンティティを確立するためには、他者の存在が必要なようです。

- わたしが誰であるかということ - わたしのアイデンティティ、つまり「それによって、この時この場所でも、あの時あの場所でも、過去でも未来でも、自分が同一人物だと感じるところのもの」 - は他者との関係の中ではじめて現実化される。
と、R・D・レイン(精神科医)は、自他のアイデンティティの<補完性>を問題にしています。

そして、レインはそこで<場所>ということも問題にしています。

「すべての人間の存在は、子供であれ大人であれ、意味、すなわち他人の世界のなかでの場所を必要としているように思われる・・・・・ 少なくともひとりの他者の世界のなかで、場所を占めたいというのは、普遍的な人間的欲求であるように思われる。たいていの人びとは、少なくともひとりの他人の世界のなかで自分が第一の場所を占めるという経験を求める」(「自己と他者」R・D・レイン)

じぶんがだれの他者でありえているかの感覚が、自己の同一性感情の核をなしているというのです。

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話し相手 - やなぎのようにしなやかな会話

先日、あるセミナーに行ったときに、「この世の中で一番強いものは”やなぎ”である。」と有名が先生がおっしゃっていました。時の流れ、時代の移り変わりに対して柔軟に対応して変化する。それは決して、強くて硬い剛性ではなく、むしろ柔性こそが、少々のことではポキッと折れたりしないしなやかな強さを持っているのです。

タイミングが、間が、うまくとれないとき、ひとは自分が発したことばで自他のすきまを埋めようとします。そうして、息せき切ったように話しながら、ほかならぬそのことによって自分が撒いたことばの集積のなかに閉じこもる。すると、じぶんをささえてくれるはずの他者との接触が、自己を侵犯してくる暴力へと裏返ってしまうことにもなります。

<間>のない会話は、クッションの無い箱の中の卵のようです。

箱の揺れとともに、固くてもろい表面がじかにごつんごつんと当たり、押しあいながら、やがてその表面にひびがはいってきてしまいます。

間 という、揺らぎを許容するすきまが、剛性ではなく柔性が、ひとの存在にしなりやたわみといった、少々のことではポキッと折れたりしないしなやかな強さを与えます。

逆に、間が大きすぎ、その隔てがほとんど壁のようになっているばあい、ことばは形式的なやりとりになり、ことばがたしかに相手にとどき、そしてその存在の奥深くに浸透してゆくということが起こりえなくなります。

そんな間の悪さから、できることなら相手の目の前から居なくなってしまいたいという居心地の悪さだけが、語らいのなかから浮き出しています。そうして、自己の内に撤退しようとしても、じぶんのなかをいくら覗き込んでみても、”これがじぶんだ”というものが見つかるわけではありません。自己の同一性、自己の存在感情というのは、日常的にはむしろ、(目の前にいるかいないかとは直接は関係なしに)他者によって、あるいは、他者を経由してあたえられるものであって、自己のうちに閉じこもり、他者から自分を隔離して得られるものではないのです。

他者から隔離されたところでは、ひとは<自己>を追い求めて、堂々巡りに陥ってゆきます。みずからの尾を呑み込みつづけるウロボロスの蛇のようなグロテスクなかたちでしか、じぶんにかかわれなくなってします。

私たちは、会話のにある<間あい>のお陰で、他人との関係の少々の齟齬やずれが、決定的なダメージにならなくてすんでいるのです。

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話し相手 - 会話のなかで自分を休める

会話における<間>というのは、そこに自分をあづけることによって自分の枠を緩めたり、目の前にいる他者のその他者としてじぶんを感じたりというふうに、そこにおいてじぶんが揺さぶられ、また捏ねられ、あらたな形を与えられる、ときにはそこでじぶんを休める、いわが自己調整の場ということができます。

コミュニケーションというと、私たちはついつい合理的な目的を重視してしまう、つまり意思の一致、コンセンサス(合意)をイメージしてしまいますが、もしコミュニケーションを動機つけているものが、そのなかで各人が他者の存在とともにその前にいま疑いもなく存在するものとしてじぶんを感じることにあるとするならば、そこにおいてもっとも重要なことは、他のひと、じぶんとは異なる他の存在をそこにありありと感受するということです。他者との差異に深く思いをいたすことで、じぶんという存在の輪郭を思い知らされます。

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話し相手 - タイミング

”タイミング”は、タイム(時間)が動詞化した外来語です。
日本語では、「好時機に行う、時宜に合わせる、拍子を合わせる」といった意味をもちますが、本来の英語ではこのような概念はあまり持っていないそうです。

しかし、このタイミングという言葉は、日本ではとても重要な意味を持ち、日常の中で使われているのです。

タイミングは一般的に、静止した対象との関係においては、あまり重要視されません。動いているものと動いているものとの関係、そのなかで「まるで空中ブランコの妙技のように、一瞬の<間>を捉えて相手に即応する」、まさにその臨機応変のやりとりが、タイミングと呼ばれています。そして動くものどうしのあいだのやりとりということは、関係のありかたをあらかじめ設定することはできないし、その行方をあらかじめ読み取ることもできない。まるで航海図のない航海のようにして会話というものが、はじまるのです。

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話し相手 - ことばの呼吸

わたしたちはしばしば、「呼吸があう/あわない」というふうに表現することがあります。
会話のなかで呼吸があわないとき、ひとは相手のことばじりに敏感になります。ことばを確実にとらえようとして、ことばの意味に拘泥してしまうのです。
ことばは表現されていることのひとつの局面にすぎず、決してそれが全てではないのですが、聴くほうは語られたことばへと注意を惹き付けられ、視野が狭くなっていきます。

相手が語ることば、聴き手の受け答えとともにゆらゆら揺らぎ、つまずき、ころがりもするその不安定なことばが、一本の連続的な線でいらば論理的に、一義的につながれてしまいます。このようにして、ことばの受けとりかたが、相手の語りから免れてゆくのです。

そして、ますます呼吸があわなくなってしまう。いったん、そういうふうに呼吸がギクシャクしてくると、それを修復するのはとても難しいものになります。

ことばのやりとりにおける呼吸とは、時間的なもののようです。時間的な意味での<間>が、どういう膨らみをもっているか。どういうあそびやすきまをもっているのかが問題となります。これについては、精神科医の木村敏先生が「タイミング」の問題として、「偶然性の精神病理」のなかで取り上げていますので、引用します。(「聴くことの力 - 臨床哲学試論」【鷲田清一著】からの引用の引用です。)

「父との関係がうまくいかない。父と衝突するとかならず調子が悪くなる。・・・・・タイミングがうまくとれない。父にタイミングを狂わされる。父にタイミングで負けている。すこしでも間があくとつけこまれる。人として話していても間がもてなくて、全体の雰囲気よりも早めに出てしまう。いつもフライングをしている感じで、リズミカルに行かない。自分がキープできない。間が持てないから、行動がスムーズに行かない。家で両親に対してだまっていた方がいいのかしゃべった方がいいのかわからない。しゃべろうとするときフッとそれを抑えるので、そのうちに話題が変わってしまってタイミングがずれる。
タメがないから加速度的に早くなって、パッパッと出ていく。待っていると苦しい。あせるというより、ふわっと出てしまう。自分の中で満たされないうちに出ていく。フライングみたい。全体の状況がつかめないからパッと出てしまう。」

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話し相手 - ただお茶をいれるということ

「ある看護婦が、ひとりの、いくらか緊張病がかった破瓜型分裂病患者の世話をしていた。彼らが顔を合わせてしばらくしてから、看護婦は患者に一杯のお茶を与えた。この慢性の精神病患者は、お茶を飲みながら、こういった。<だれかがわたしに一杯のお茶をくださったなんて、これが生まれて初めてです。> 」(『自己と他者』:R・D・レイン)

”だれかにお茶をいれるということ、これはだれもが日常的にしていることである。この患者とていままでに一度も他人にお茶を入れてもらった経験がないわけではないだろう。ではどうして、これを「生まれてはじめて」と感じたのだろうか。
 精神科医のレインは、こう解釈している。あるひとがわたしに一杯のお茶を入れてくれるばあい、そのひとはわたしの気を惹こうとしているのかもしれない。わたしを味方につけようとしているのかもしれない。わたしに親切にしておいて、あとからなにかをぜびろうという魂胆があるのかもしれない。あるいは、じぶんの茶碗やティーポットを見せびらかしていることもありうる。あるいは、あるいは・・・。
 だれかにお茶を入れるということ、そのことが、他人に求められたからでなく、業務としてでもなく。もちろんティーセットを自慢するためでもなく、「だれかのため」「なにかのため」という意識がまったくなしに、ただあるひとに一杯のお茶を供することとしてあって、それ以上でも以下でもない、そういうふうにして他人にお茶を入れてもらったと患者が感じたことはこれまでなかったというのだ。
 ことばもなく、ただお茶を供するだけの行為が、どうしてこうも深い充足感をもたらすのだろうか。間がもたない、間をとれないという、わたしたちが日々、他人との会話の中で味わうあのぎこちなさとは、およそ正反対の時間である。”

とても深い内容だと思います。合理的に考えて行動していることの多い現代社会では、このような場面に出会うことはもしかしたら少ないかもしれません。
私たちは、日々を生きていくために、どうしても知らず知らずのうちに計算してしまう癖がついていると思います。
「あることの為に~をする。」「~だからこうなる。」 物事には全てに原因と結果があるでしょう。何かが存在したり、何かをしたりすることには、なにかしらの理由があるでしょう。
でも人は、理由さえないところに、すべてを超越したところに、深い感動を覚えるのだと思います。

そのためには、自分自身が、一致している(受容)こと、つまり、ありのままの透明な自分でいることが、とても大切なことだと思います。

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話し相手 - 話を聴くといくこと

しばらく間が開いてしまいましたが、”話を聴くこと”というテーマの内容を再開します。

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こころの時代の便利屋さん

日々の生活の中の”困った!”を解決するために、どんなことでも引き受ける。法に触れたり、道徳に反しない限り、なんでも依頼を承るのが、便利屋という家業です。

専門家に頼むよりも手軽で便利で頼みやすい、だから「ちょっと頼むよ!」という一回きりの仕事でも喜んで引き受ける、一期一会の仕事をするのが便利屋です。

そんな便利屋に寄せられる依頼は色々で、人それぞれに様々ですが、時代の移り変わりとともに、依頼される仕事内容も変わってきます。

これまでは便利屋というと、ゴミの処分屋といった感じで、物の廃棄や清掃の仕事がほとんどでした。現時点でも、便利屋への依頼の多くは、処分やハウスクリーニングの仕事なのだとか。

しかし、物の時代から心の時代に移り変わってゆく中で、便利屋に依頼される仕事なかに、こころを扱う仕事が増えてきていると、日本ではじめて便利屋を開業した元祖・便利屋の右近勝吉さんは言っています。

実際に、悩み事の多くは、物質的なことではなく、むしろ精神的な、こころの部分での”困った!”が多いのではないでしょうか?

こころの便利屋さんは、そのような”心の困った!”を解決するために、ちょっと便利な便利屋を目指しています。

もちろんそれは、精神の病気を扱う治療行為ではありません。カウンセリングといった専門職でもありません。便利屋という、手軽で便利でちょっとしたことでの頼みやすさはそのままに、物質的なことだけでなく、精神的なこころの”困った!”を引き受けられる”こころの便利屋さん”。

日々の生活の中で、ごくごく普通の人に、精神的な”こころの困った!”が起きたときに、ちょっと依頼してもらえる、気軽に手軽にわがまま自由に、ちょっと便利に依頼できる、そんな”こころの便利屋さん”というのが、私の理想としている「こころの便利屋」像です。

もちろん、物質的な”困った!”を解決する仕事も喜んで引き受けていますが、これからますます心の時代になっていったときに、便利屋が扱う依頼は、物質的な事ではなく、精神的なこころを扱う仕事に移り変わってゆくと信じています。

「 人によりそう、こころとふれあう。」

"お話をお聴きすることで、人を幸せにすることができる。そして、自分も幸せになれる。"

"こころの便利屋さん" の理念です。

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2005年8月17日

こころの便利屋 (16:57) | コメント(0) | トラックバック(0)

カテゴリ:世田谷便利屋時代の過去ブログ便利屋稼業

こころに栄養!

人間の体に栄養が必要なように、こころにも栄養が欠かせません。
体の栄養は食べ物ですが、心の栄養はなんでしょうか?

それは、損得を越えた部分で、他の人に喜ばれることをすることだそうです。

自分にとって、何ひとつ得にならないことに取り組んで、心を健康にしましょう!

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2005年8月16日

こころの便利屋 (16:07) | コメント(0) | トラックバック(0)

カテゴリ:世田谷便利屋時代の過去ブログ想うまま

”お話し相手”というサービス

8月のとある土曜日、こころの便利屋さんとして”お話相手”の依頼をうけました。

「これからどのように生きてゆくか。自分はなんのために生かされているのか。」
というお話でした。ネットからの依頼だったので、若い女性の方でした。

自由が丘にある亀屋万年堂の本店喫茶室で、ゆっくりと話を聴きました。

亀屋万年堂の本店は、駅から少し離れたところにあるので、隠れ家的に利用することができて便利です。コーヒーにナボナもついてくるんですよ!

”お話し相手”というサービスは、これからの「こころの便利屋さん」の一番のサービスとして位置づけているものです。

”お話をお聴きすることで、人を幸せにすることができる。そして、自分も幸せになれる。”

それが、経営理念でもあり、信念でもあります。

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便利屋はスキルではなく、知識でもなく、ただ、人間性で勝負する

便利屋さんは、どんなことを依頼されるかわからない仕事です。
最初は一般的に、掃除や物運び、配達、代行、付き添い、などですが、お客様の「困った!」を解決するのが役目ですから、どんな仕事か事前には分かりません。

ですから、資格やスキル、知識はほとんど役にたちません。ただ”人間性”で勝負して、仕事をもらうことができるのです。

安心し信頼してお願いされるようになるためには、人として気に入られなければなりません。

それが出来なかったら、二回目の仕事はもらえないのが便利屋でしょう。
逆に言えば、他の人と取替えの出来ない領域で仕事をすることになりますから、成功すれば安定すること間違いなし!ですね。

だから、人間力を磨く必要があります。志を持ち、徳を高めるのです。

知識やスキルといった”末学”ではなく、人徳を高めるための”本学”を習得することに励まなければなりません。

人としての高みを目指して歩んでいきましょう!

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2005年8月15日

こころの便利屋 (01:09) | コメント(0) | トラックバック(0)

カテゴリ:世田谷便利屋時代の過去ブログ便利屋稼業

なんでもやる便利屋サービス

私のいまの仕事は、おおきく三つに分類されます。

1)中小企業向けIT経営コンサルティング

 ITコーディネーター、IT推進アドバイザーとして活動しています。
 Webマーケティングも得意分野です。
 「社長の便利屋さん」のような位置づけです。

2)個人向け相談業務

 キャリア・コンサルタント、ファイナンシャルプランナー、コーチとして活動しています。
 クライアントの話を傾聴し、キャリア・カウンセリングやライフプランニング、
 コーチングなどをします。
 こころの便利屋さんとして、これら依頼を受けることもあります。

3)こころの便利屋さん

 ”人に寄り添う、こころにふれあう”をコンセプトにしています。
 一般的には、掃除や物運び、配達、代行、付き添い、などでしょうか。
 奥沢2丁目に限定した地域密着のサービスです。

 ただし、「お話し相手」と「旅行の付き添い」は、奥沢二丁目以外の方からの依頼も受けています。

これまで自分が歩んできた人生が、これらサービス内容に大きく影響していることは言うまでもありません。
”自立して仕事がしたい”。”人に喜んでもらいたい”。そんな自分の価値観もはっきりとサービス内容に出ているように思います。

ちょっと色々と欲張りすぎかな~、と思うところもありますが(笑)

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2005年8月14日

こころの便利屋 (01:01) | コメント(0) | トラックバック(0)

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凡事徹底

掃除をするということは、生活の基本といえることです。私もこれまで、このことを理解せずにいました。
本で読んで納得はしていましたが、何の役にも立たない”知識”でした。
実際に、やっていなかったからです。

便利屋さんをやってみて、無心になって掃除するということを、自分ですることができて初めて、なんとなく分かってきたのです。

森信三先生は、ゴミ拾いをすることで人格を高めていらっしゃいました。

森信三・魂の言葉―二度とない人生を生き抜くための365話

イエローハット相談役の鍵山秀三郎先生の掃除行は、有名なお話です。

人生を掃除する人しない人 達人二人、目からウロコの超実践哲学

偉大で尊敬する哲学者、経営者の言葉が、ようやくわかりかけてきました。

机の前に座り、コンピュータの画面に向かって仕事をしていた頃には、頭でわかってはいても体ではわかっていないことでした。

IT経営のコンサルタント(ITコーディネータ)として、先生と呼ばれる身分で、いまも幾つかの企業にいってアドバイスをしていますが、言葉を並び立てるだけで、原理原則的な真理を極めていなかったと思います。

便利屋という仕事は、サラリーマンよりも一段と身分を低くし、「なんでもやります!」というのが仕事です。

水が高いところから低いところに流れるように、世の中の色々なことが、便利屋という仕事の中に流れ込んでくるようです。そうしてようやく、なんとなく肌で感じ取れることがあると思うのです。

禅の修行も、掃除を基本としています。一度、緑の禅寺「喝破道場」に修行にいきたいと思っていましたが、身近な生活の中で、日々の商いの中で、掃除という行いをすることができる今の私の身分は、恵まれています。
便利屋って、面白い。 感謝!! です。

便利屋として世の中の一番先の現場にいけることは、私のこれからの中小企業に対するコンサルタント、個人に対するカウンセリングという仕事にも、とても良い影響を与えてくれると思っています。これらを両立していくことは大変ですが、頑張っていきたいとおもいます。

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2005年8月13日

こころの便利屋 (00:22) | コメント(0) | トラックバック(0)

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きれいにするお仕事♪

初めての方で、”こころの便利屋さん”を依頼される方は、家具の移動や清掃といった家庭の作業代行といったことを依頼される方がほとんどです。

それはそうですよね。最初から”お話し相手”なんてなかなか依頼出来ません。信頼できるかどうか、安心できるかどうか、わからないからです。

ところでこの、清掃や掃除といった仕事。やってみて、とても気に入っています。
単純に綺麗になるのが気持ちいいし、仕事が終わった後、お客様にすごく喜ばれる仕事だからです。

先日は、ベランダにある枯れた植木を一掃する仕事を受けました。
なにぶん初めてなので、思った以上に随分と時間が掛かりました。
でも、見違えるほど綺麗になりました。作業が終わった後、

お金を受け取って、「ありがとう。ご苦労様!」と感謝される商売って、便利屋の一番いいところですね。

あ、それから、その場でニコニコ現金払いというところも、良いですね。
ついつい、”宵い越しの銭はもたねえぜぇ”といって使ってしまいたくもなりますが(笑)

掃除をするということは、過去をきれいに清算し、新しい気分で未来に向かうことができるようになるということでもありますね。

こんなに懸命に清掃をすることなんて、学生の頃に校舎を掃除していた頃を思い出すくらです。

でもそれは、じつはとっても大切なことなのです。

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2005年8月12日

こころの便利屋 (11:18) | コメント(0) | トラックバック(0)

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「今日一日、 怒らず 怖れず 悲しまず」

そして、中村天風先生の本を二冊、戴きました。

   今日一日
   怒らず 怖れず 悲しまず
   正直 親切 愉快に
   力と 勇気と 信念とをもって
   自己の人生に対する責務を果たし
   恒に平和と愛とを失わざる
   立派な人間として生きることを
   厳かに誓います。


運命を拓く―天風瞑想録

この日の仕事は、ちょっと重いものを運ぶ力仕事もありました。これまでのデスクワークですっかり体がなまっていたので、その翌日と翌々日は、ひどい筋肉痛に悩まされました・・・(笑)
「これからも頑張ってください!」と、何故かお客様に励まされて、こころの便利屋サービスの初仕事が無事に終わりました。そんなに頼りなかったのでしょうか(笑)

一期一会 のお仕事でした。

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2005年8月11日

こころの便利屋 (22:26) | コメント(0) | トラックバック(0)

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こころの便利屋さん 記念すべき初仕事

こころの便利屋さんの記念すべき初仕事は、奥沢2丁目から地元へと、お引っ越しをされる方のお手伝いでした。7月のとある日曜日。とても暑い日でした。ふたりとも汗だくになりながら、部屋の片付けのお手伝いをさせていただきました。そして、いくつかの貴重なプレゼントを貰いました。

050802_2014~0001.jpg大切に飼っていた二羽のセキセイインコ。

今は私と一緒に、元気に暮らしています。小鳥のさえずりで目が覚める生活は、何年ぶりのことでしょう。

私も昔は、たくさんのペットを飼っていました。生まれ育ったのは、愛知県にある日間賀島という小さな島で、自然がいっぱいの恵まれた環境でした。小鳥、ハムスター、リス、うさぎ。小動物は、たいてい飼いました。大好きだった犬は、父の仕事の関係(着物作り)で飼うことが出来きませんでしたが、大好きな動物達に囲まれて育ちました。

東京に来て、思いがけない偶然から、小鳥達との生活が再開しました。
お引っ越しをされた方は、奥沢2丁目の自由が丘近くにお住まいでした。
20年間を、この地で過ごされたそうです。片付けの仕事をしながら、たくさんの話を聴かせてもらいました。20年前の自由が丘の様子や、近所に住む有名な方の話。そして、大正時代に世界を旅した祖父の話は、旅好きの私をワクワクさせました。なんと90歳で、世界を周る船の乗組員になったそうです。

年齢や境遇は関係なく、頑張れば夢は実現するのですね!
とても勇気付けられる話でした。"人に寄り添い、こころとふれあう"をコンセプトに、お話をお聴きすることを一番のサービスとして立ち上げた
「こころの便利屋さん」を、これからも頑張って続けていたいと思います。

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2005年8月10日

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こころの便利屋さん 初お見積もり♪

こころの便利屋さんで、はじめてお見積もりの電話の頂いたのは、ポスティングを開始してすぐ、ある土曜日のお昼過ぎのことでした。

歩いていける範囲を商圏にしているので、ちょっと散歩がてらお見積もり。

うれしかったのは、電話の横にポスティングしたパンフレットが置いてあり、「このチラシをみて、人柄の良いひとだと思って電話したんですよ!」といってくれました。
嬉しいですねぇ~♪

私の作成するチラシは、奥沢二丁目の方に宛てた”手紙”のような内容です。
そのような意味では、他のチラシとは一風違った、変わったチラシかもしれません。

毎週毎週、友達に手紙を書くように、チラシを書いて配っています。

これからも、”良い出会いがありますように!”

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2005年8月 9日

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「ひとりでやるなら、バカになれ!」

いつも行く喫茶店のマスターの言葉です。
私は、このおじいちゃんを密かに尊敬しています。
もう随分お年を召された年齢のようですが、いつもいつも丁寧に規則正しく、誠実に心を込めて仕事をしています。

どんなお客様に対しても、腰を低くして接しています。
たとえ相手が子供であっても、その態度に変わりはありません。

決して料理が美味しいわけではないし(ご、、ごめんなさい;;)、要領が良いわけでもないのですが、何故か落ち着く喫茶店です。そんな癒しを求めて、お客様がやってきます。

そんなマスターが、あるひとと話をしている時に、聞いた話です。

「自分は商売だから、バカになれる。
 幸せになりたかったら、バカにならなきゃ駄目なんだ」

と。なるほど。そういえば、ORANGE RANGEの歌にも

「刺激が欲しけりゃ、バカになれ!」

ってありましたね。ひとり起業もおなじでしょうか。

「ひとりでやるなら、バカになれ!」

さて、一人起業ネタは、これくらいにしておきます。
こころの便利屋さんでは、一人起業を応援します!

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2005年8月 8日

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「ケータイがあれば、オフィスいらず!」

最近、携帯電話を au に乗り換えました。
PC向けのネットが見れて、WordやExcel、PDFの添付ファイルがみれるインターネット携帯が欲しかったからです。
カシオのW31CAは、そんな期待に答えてくれる携帯電話です。

いつでもどこでもPCサイトビューアーで情報検索でき、PCメールもブラウズできます。
電話秘書サービスからの伝言メールも即時に受け取れるし、PDFに変換されたFAXもリアルタイムでチェックできます。そしてすぐに、電話で連絡することができる。

ケータイが、オフィスになりました!(笑)

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2005年8月 7日

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電話秘書サービスとインターネットFAX

最初に悩んだのは、電話での問い合わせでした。便利屋という仕事柄、外出が多いからです。
いろいろと調べた結果、電話秘書サービスを導入することにしました。

これは一人起業にはかなり便利だと思います。

自分が不在のときに、NTTのボイスワープの機能を使って、電話秘書サービスの電話番号に転送しておきます。

そうしておけば、電話が掛かってきても、電話秘書のかた(実際にはどなたなのか存じませんが(笑))がきちんと対応し、伝言と折りかえりの電話番号を聞いてくれます。
そしてそれを、すぐにメールしてくれますから、外出先から携帯電話で折り返しの電話をすぐに入れられるのです。

これで、不在の為に失注する確率も、格段に減るとおもいます。


ちなみに私は、FAXもインターネットのASPサービスにアウトソースしました。
FAXが届くと、自動的にその内容がPDFに変換されて、リアルタイムでメールに送信されるサービスです。月々の契約をすれば、FAXは受け取り放題。これも便利で、重宝しています。

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2005年8月 6日

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「ひとり起業とアウトソース」

一人で事業を企画し、チラシを作成し、印刷して、配る。
最初はこれでいいのですが、電話で見積もりや注文が入るようになると、とたんに一人では回らなくなります。

しかし今は、ひとり起業にとって、とても便利な世の中になっているのです。
そうです。ネットに代表される情報技術を最大限に活用し、アウトソースのサービスを利用することです。

今現在、私の場合は、チラシの企画を自分でするだけです。
あとは、印刷業者に原稿を送付し、そこからポスティング業者にチラシが送付され、指定日にポスティングされます。

2200枚の印刷とポスティングですから、合わせても1万円台で配れます。
自分でやるよりも、はりかに効率が高いのです。

その分の自分の労力を、企画やマーケティングに専念できます!

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2005年8月 5日

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「リアルの一人起業も良いものですよ!」

ひとり起業というと、すぐに情報ビジネスを思い浮かべるとおもいます。
インターネットで、会社後や週末を使って起業しやすいからでしょう。
しかし、インターネットで成功するためには、インターネットという競合ひしめく巨大な世界で、ナンバーワンかオンリーワンになる必要があります。簡単なようで、びっくりするほど難しいかもしれません。

でも、リアルの世界であれば、人間が物理的に行動できる範囲を商圏にすることができます。つまり、その地域限定で、ナンバーワンかオンリーワンになれればよいのです。
その地域にないサービスを提供してあげれば、すぐにあなたもオンリーワン!

既に人がやって成功したことを、自分の住んでいる地域に持ち込んで、地域の人が便利になるように、地域限定サービスを提供すればいいのです。
なにも新しいビジネスである必要はなく、他の人のやり方を真似て、必要とされるサービスを親身になって提供するのです。地元ということで、営業効率もよくなりますから、一人でこじんまりとやっていっても大丈夫なのです。

こころの便利屋さんでは、一人起業を応援します!

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2005年8月 4日

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「小さな会社は、ランチェスター戦略で!」

こころの便利屋さんは、私の居場所でもある ”奥沢2丁目” にお住まいの 2200世帯に対して、サービスを提供しています。
逆に言うと、今のところ2200世帯しか商圏にしていません。近所で営業をして地域密着にしたほうが、効率もいいし、ちょっとしたことでも頼まれやすいと判断したからです。

奥沢2丁目に住んでいる人たちを幸せにすること、奥沢二丁目の人が「ちょっと困った!」といったときに声を掛けられる存在になること。これが当社(といっても私一人ですが(笑))の目標です。

実際に、この方法は上手くいっています。
依頼をくれるお客様は、”近くて頼みやすそう”といってくれています。

まだチラシを配布しはじめて半月ですが、依頼を頂いているのはやはり、「安心感」、「親近感」といった人間心理の影響が大きいとおもいます。

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2005年8月 3日

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「チラシを企画して、刷って、ポスティング」

ここ二ヶ月間、ただひたすらに、チラシを考え、印刷し、ポスティング。
地域密着でする場合は、ネットよりもリアル。一軒一軒に届けられるポスティングチラシが一番効果的でしょうか。もちろん、普通のチラシを作っていただけでは、すぐにゴミ箱行き~!
いかにして読んでもらえるか、考えに考えに考える必要があります。
いくら良いサービスを提供しようとしても、それを知ってもらい、依頼してもらわねは仕事も来ないし、社会貢献もできません!
ただただ真面目に頑張るだけでもいいのですが、より多くの人のお役に立とうと思ったら、しっかりと自分の頭も使って、どうやったら人と出会えるのか、どうしたらもっと喜んでもらえるのか、一生懸命に考えて、アイデアを出し、それを実行する必要があります。
もちろん、ただ実行するだけでなく、結果を数値で収集し、それを評価して反省し、次回の計画に役立てるようにしてゆかなければなりません。
直感と分析の両方を、フル活動させるのです!

そのためには、こころを一にして、集中すること。

プロとアマの違いは、どれだけそのことに没頭できるのかというところです。
必要なときには、他の全てのことを後回しにして、一つのことに集中したほうが良い時期もあると思います。そんな経験をした、二ヶ月間でした。

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2005年8月 2日

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奥沢二丁目:地域密着の”お話し相手”便利屋サービス

ブログをお読みいただいてありがとうございます。
大変ご無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした。

”人に寄り添う、こころとふれあう”をコンセプトに、「お話をお聴きすること」をサービスの中心として立ち上げた”こころの便利屋屋さん”。

ようやく7月後半から、リアル店舗にて開業することができました。
ここしばらくは、開業のために全力を投じており、ネットから遠ざかっていましたが、少し余裕もでてきたので、復活したいとおもいます!

どうぞよろしくお願いいたします!!

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2005年8月 1日

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